飛べ

わーわー言うとります。

動画を作る

・今日は仕事から帰ってからずっと動画を作っていた。以前からの個人的な知り合いで、今は大阪でフリーで活動されているパルボロインというコンビが居て、ひょんなことから彼らが月イチでやっている定期ライブのオープニングで流す映像を作らせてもらっている。今日はそれの次回分で流すやつを作っていた。

 

・動画を作るのは楽しい。特に今までに映像制作に関わっていた経験があるわけでもなく、専門的な知識とかはなく、ソフトもフリーソフトで作っていて、あくまで「それっぽいもの」の域を出ていない自覚はある。そんなのを使ってくれてるパルボロインには感謝しかないが、自分は自分で月イチで「自分が作ったもの」が自分の手元に残り、また自分の手元を離れてなんばのライブハウスで流されている、ということに少なからずの生きがいを得られている。なかなかのwin-winだと思う。いつか彼らがもう少し売れて専属の作家さんやクリエイターさんを雇えるようになればぜひそっちに移ってほしいと思うけど、それまでは自分を使ってくれてたらいいなと思う。

 

・あと、何より自分でも自分に対して意外に感じているのが「自分って映像は作れるんだな」ということだった。自分はとにかく作品発表が苦手だ、という自覚がある。音楽でもネタでも、とにかく何か1つのものを完成させて発表するのがとにかくできない。その理由は自分でも色々あると思っている。けど、動画は割となんか自分の中で逆に割り切ってポンポン作れる。動画や映像制作に関しては、自分自身に知識やこだわりが特になさすぎるのが逆に助かっていると思う。自分でもクオリティは低いな、と思っていても、それを全然受け入れられながら出せる。それに助かっている。

 

・何にせよ、月イチくらいで自分で何か人様にお出しする用のモノを作る生活、というのが単純に楽しい。今まで音楽やネタでそれをやってきたかったけどできてこなかった人生なので、まさかそれを「動画を作る」というジャンルで味わえるようになるとは思わなかったな、と思っている。

 

・そんなわけで(?)、パルボロイン定期ライブ「MAIN THEME」のお知らせです。

パルボロイン定期ライブ『MAIN THEME vol.7』
日時:3月10日(火)
開場:18時30分
開演:19時00分
場所:なんば紅鶴
料金:¥1000 + 1drink

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事務所所属でプロとしてやっている方から、社会人の傍らフリーやアマチュアとして漫才やコントをやっている人たち、色んな人達のネタが観られるライブです。特に今回すごいと思うので、このご時世ですがもし気が向いて行ける範囲の方がおられたらぜひ足を運んで頂ければ、と思います。多分オープニングに何かしらの映像も流れていると思います(間に合っていれば…)。

新しいPCとDJMAXと時間と

・少し前にパソコンを買い替えた。今まで使ってたのは5年半ほど前に「ネットが見られてOfficeが使えたらそれでいい」って感じで買ったやつで、それと比べると随分とスペックの良いやつを今回は買うことにした。その結果、今までガタガタでやっていた動画の編集がめちゃくちゃスムーズになり、5分の動画を書き出すのに15分くらいかかってたのが2分くらいになった。

 

・こんなにスペックが良いなら、と思ってsteamも入れることにした。前のPCを使ってる時はsteamの存在は知っていても、自分がアクセスできる世界に存在するものではないと認識していた。思い立ってダウンロードしたらすぐだった。とりあえず立ち上げて「そういえばsteamでDJMAXの新作出てたな」というのを思い出した。DJMAX RESPECT V。これも存在は知っていても、喉から手が出るほど遊びたいゲームだったけど、自分がアクセスできる世界に存在するものではないと認識していた。steamからストアに移動。DJMAXで検索。すぐにそのソフトは出てきた。せっかくなので購入。しばしの時間のダウンロード。気がつけば、あっという間に自分の部屋の自分のPCでDJMAXの新作が立ち上がっていた。つい昨日くらいまで「あれは自分には手の届くものではない」と思っていたのに。

 

・なんか自分の人生ってそんなのが多いな、と思う。勝手に「あれは自分には手の届くものではない」と思って自分とは違う世界のフォルダに入れているけど、いざ1日か2日の休みをとって新幹線の券でも買えば国内くらいの大概の場所はけして行けない場所ではないし、そこそこのスペックのPCでも当たり前だけど買えば手に入る。そして現状、別にそれくらいの出費ができないわけでもない(なんせドチャクソに働いているので)。その一連を、なんとなくわかっているのに、自分の世界の認識の中には「あれは自分には手の届くものではないもの」がものすごくある。あまりにも呆気なく手に入ったsteamを立ち上げて10年ぶりくらいのDJMAXを遊びながら、そんな事を思った。

 

・このままずっと色んな事を、いつかはなんとかしたいけど、今は自分の手には届くものではない、みたいな認識で生きてると、いずれそう遠くないうちに本当に色んなことがそのままで終わっていくんだろうな、となんか急に思った。というか、もうそうなってきてるんだろうけど。シンプルに生き急ぎたい。30を過ぎて気がついてる時点で遅すぎる気もするけど。

境目

・職場にファックスで得意先から「マスクをお安くまとめて注文できるチャンス」的なやつが来ていて、みんなの雰囲気的にこれは買えるだけ買っておきましょう!!的な感じになったんだけど、じゃあ実際にどれだけ注文すればいいのか、ってなって誰もわからなくなった。果たして今のこの感じはあとどれくらい続くんでしょうか。あと1~2週間もすればまた元通りの社会に戻る感じなのか、来月くらいはまだまだ今と変わらない感じなのか、もっと当面こういう状況が継続するのか。本当に専門的に今の状況を見通している人たち以外、市井で暮らす私たちの想像の中には、これから本当に感染が拡大してテレビで見るような厳しい状況に自分たちの住む社会も飲み込まれていく(そして自分や自分の周りの人たちも苦しむのかもしれない)という恐怖と、なんだかんだいってて結局はたいして何も起こらず、あと少ししたらマスクもトイレットペーパーも激余りして「あの狂騒は一体何だったんだ」みたいな感じにどうせなるんだろう、みたいな楽観が、それぞれ割合のバランスは違えどどっちも並行して持っていて、まだまだ大半の人の中では楽観の方が全然強いような気がする。

 

・なんとなくヤバいらしい、と聞いていながらも、どうせ大丈夫なんだろう、と心の中ではみんな思っているから、ついこの前までは社会は普通に回っていたのが、何の境目を超えてしまったのか、急に何もかもが自粛ムードに変わってしまっている。一旦ドミノが倒れてしまえば、隅々まで一緒に倒れないといけなくなる。でもドミノも自分で倒れ(倒され)ながら、倒れている理由が「みんな倒れることになったから、自分も倒れておかないとなんかよくない」くらいの理由でしかないから、そのうち大きなドミノから「そろそろいいだろう」って感じで勝手に起き上がって、それを見てみんな起き上がることになるんだと思う。

 

・もっと真剣に社会全体で、本当に感染を防ぐには、できるだけ社会が混乱しないようにするにはどうするべきか、いろんなことを考えるべきタイミングはずっと前にあったはずで、その時に何もせず、今からマスクやティッシュだけ買いに走ったって、今からライブやコンサートだけ中止したって、今から学校やジムだけ閉めさせたってそれがどれくらいの何になろうか、と思う。けど、ギリギリになるまで自分だって何もしてないし、ギリギリになってからだって別に何をできたわけでもない。せめて、今回のこういう経験をもとに、自分の生活まで直結して困ってくるまでは政治なんてどうでもいい、社会なんてどうでもいい、と思って任せていると、本当に困ったときに全然何もしてくれない、それで全然悪びれてもない社会を自分たちで選んできたことになった、ということを反省材料にしていけたら、と思う。できるんだろうか。

 

・とりあえず職場のマスクはだいぶ多めに注文することになった。春ごろになって結局山ほど余らせたまま収束して「あれは何だったんだ」ってなったらなったで別にいい。個人的にはどっちにしても春の終わりから初夏ごろにイネの花粉症で結構苦しむので、その時は山ほど余ったマスクをありがたくわけてもらおうと思う。いや業務上横領を見越して注文すな

明日はどっちだ

・少し余裕ができてきたのでブログを再開します。誰が興味あんねん。

 

・いまTVerで配信されている「あちこちオードリー」の中で、若林さんが「自分は(テレビタレントをしている時は)AをCとか、AをDという仕事で飯を食っている」と話してたのが印象的だった。それで思ったけど、全盛期の小室哲哉がglobeや華原朋美安室奈美恵に書いていた曲でたまに出てくる、いちおうテーマ的には普通のJ-POP的なラブソングのはずなのに異常になにか切迫したストレスだけが感じられる詩の曲って、小室さんの中のストレスや衝動をAとして、それをいったん置いといて、女性視点の恋愛みたいなDの話をすると見せかけて実はずっとAの話をしてくるような、そんな仕組みがあったんじゃないかな、って急に思った。ところで小室さんって今どうしてるんでしょうね

 

・予定を入れていたはずのライブやイベントがどんどん中止や延期になっていく。そんな中で決行されるイベントもある。どっちにもやんごとない葛藤や苦しい決断があるんだと思う。自分としては(今更ちょっと出かけるのを控えてみようが知れていると思っている、それよりは毎日眠れるだけ眠り、マスクして手を洗ってうがいして、みたいな方が100倍大事だと思っているので)行けるものには行っときたい。月並みだけど、早くなんともない日常に戻って欲しいものですねと思う。いつも日常は失われてから、こないだまでみたいな日々が日常だったことを思い知らされる。しんどい。

 

 


新旧ド〇えもん風のお笑いコンビ「ドラ・ブラウン」による漫才『オルタわさび』【トム・ブラウン】

・最近見てめちゃくちゃ面白かった。アレンジネタとしての上質さ、動画としての見せ方の上手さ、あと普通に絵もうまいとか、色々見どころがありすぎてなんかもうよくわからないけど、ドラえもん声帯模写がめちゃくちゃ上手くてそれと同時にトム・ブラウンの喋り方の特徴もコピーされていて、結果「トム・ブラウンの漫才をしているドラえもん」の声帯模写がめちゃくちゃ上手いということになっているけど、それってもう意味わかんなくないですか???

「名前を付けて保存したい」を観た話

・東京での2日目、夜にワールドスリーさんという大学生で落語をされている方のライブ「名前を付けて保存したい」を観た。

 

・落語自体もそんな明るい方でないし、学生の人が落研でやってる落語になると自分は全くくらい観たことがなかったし、漠然としたイメージくらいしかなかった。とはいえ、出演としてクレジットされてる人達は5名とも落語以外の学生お笑いだったり、それに隣接してる大喜利のシーンで凄く活躍されていたり、またそういった界隈に精通してる人達にものすごく面白いと言われてる人達だし、きっと面白いんだろうな、と思って観に行くことにした。あと、客演のそうせき。さんは共通の知人を介したりして結構長く互いを知っている人だけど、こういう舞台の人として出られている時に見に行ける機会がなかなか無く、これを逃すともう本当にないかもしれないな、と思ったのもある。

 

・で、これが、とんでもなく面白かった。約2時間の公演中、中野にある小さな劇場の舞台と50席ほどの客席はずっと異常な盛り上がりに包まれ、笑わせるための部分が全部爆発的にウケていて、来ていた人が本当にみんな口々に凄い、凄かったと言いながら帰って行ってた。こんだけ書いて、これが全然大袈裟じゃない現実だったんだから恐ろしい。

 

・とはいえ、きっと映像などが世に出ることもないライブだろうし、演者の人たちはみんな今年の春に大学を卒業される、いわば卒業ライブ的な公演だったようで、社会人になったらきっともう落語はやらない、と話されてた方もいた(本当に勿体ないので、いつでもいいので心変わりをお待ちしています)。なので、今から自分がこのライブをただただ凄かった凄かったというのをダラダラ文章に残しても仕方ないとも思う。誰がどんな演目をしてしてどんな話だったか、はヘオンキさんのnoteとかを観られて欲しい。けど、なんか感じたことを自分は自分で出力しておかないと明日からの社会生活に支障が出る。ので、自分が何と無く感じたことをいかに列挙して行きます

 

・まず、落語として成立しながらものすごく自由で、かつ感覚がアップデートされていた点。今回の演目は全て各演者さんによる新作のもので、かつかなり攻めた、ものすごく自由な内容のものだった。ただその「自由さ」みたいなものが、いわゆる今までの創作落語での「古典ではこんなことはやらないけど、この創作ではこんなことに挑戦している」みたいな大きな一つの軸で動いてるんじゃ無くて、それくらいのレベルのアイデアと挑戦が次から次に出てくる。「おしりが総理大臣になって安倍政治を斬る話」も「二人の少女がいつまでも一緒に大人になれずにタイムリープを繰り返す話」も「自分に自分がないと思って落語の世界に閉じこもる女の子の話」も、それ自体で一本の落語にできそうな大軸でありながら、それと同時に「NHKが主催する学生の落語大会で入選するために本気で高齢者と子供にウケに行った話を作り、実際にビデオ審査でNHKのスタッフには絶賛されながら、入選はちゃんとお断りされた自分」とか「深夜に疲れて帰っては二人の少女がいつまでも大人になれないタイムリープ物のアニメを毎週観て、いつのまにかそんなに好きになれるものを失ってることに気づく新卒サラリーマンの葛藤」とか「サンプリングアートに青春を捧げた自分が、落語の中に自分が好きな落語のサンプリングを散りばめながら、自分に自分がないという悩みを自分で俯瞰してキャラに落としながら自分で解決していく道を見つけて自分の中の自分のキャラの自分に教えてあげながら自分の中のキャラの自分が自立していくのを自分で演じることで自分は独り立ちしていくんだぞ、というのをみんなに見せる儀式のような表現」だったりの別軸が走っていて、かつそれらと並行して「YouTubeみたいに6秒でスキップされるマクラ」とか「エンディングで演目のタイトルが発表された時にもう1回オチるようになっている構造」とか、なんならこれら1個でも全然新作1本行けるくらいの斬新な仕掛けや構造がとにかく次から次に出てくる。観ていてとにかく心を揺さぶられる振り幅が大きいし、観ている間、とにかくものすごく脳と集中力のリソースを持っていかれるけど、話が面白いしどの演者さんも落語としての基礎的な演じる力というか体力や技量というのがしっかりあって、かつ舞台数があるからなのか(もはや当たり前なんだろうけど)人前で上がっているのが見えるとかそんなレベルじゃないし、なんなら人柄自体のチャーミングさすらすでに出てるレベルなので、とにかく全然観ていられる。

・帰りに同じ公演を見ていた方と話していて同じ感想になって、やっぱりそうなんだ、と思ったけど、街裏ぴんくさんのライブに通じるものがあった、と思った。落語と漫談でのフォーマットの違いはあれ、一人だけでの道具や舞台装置に頼らないで、喋りと演技だけで、聴く側の想像力の中で無限の世界を広げさせること、それを荒唐無稽に広げ続けさせながら最後には想像もつかないような果てにちゃんと落とし所を作って着地させることで物凄いカタルシスと無二の中毒性を見せ続けている人だと思うけど、昨日のライブで観たものを他に何かで例えるなら、今のとこ落語とかよりも街裏さんのそれに近いと自分は思う。

・あとは全編を通してのネタの中で出てくるギャグや例えのチョイスの世代感やテンポ感が圧倒的に新しかった。それは例えば、話の中で出てくる「ひぐらしのなく頃にの謝り方」みたいなフレーズで笑いが爆発する、演者も見ている側も共有しているワードや価値観がかなり更新されている(なんなら自分なんかはこれはもう何年後かには完全に置いて行かれてますな!ヒャーと本気で思ったくらい)という、文字通りそのものの「新しさ」でもあるけど、それ以上に、プロの芸人さんの世界でも第七世代などと区切りがつけて語られることがあるけど、あそこにある区切りは単なる偶然や年号によるものではなく、今の10代や20代くらいまでの人たち、物心ついた時にはすでにネットがあり、YouTubeがあり、過去の音楽や演芸のクラシックスや、オンバトやM−1なんかの名演にはあらかたいつでもアクセスができる環境や、雑誌やラジオのように1週や1ヶ月おきに更新される情報では無くて日々ノリが作られて更新されていく2chやニコ動のようなテンポ感の世界で生きてきた世代は、それまでの「学生時代までにそこまでネットがなかった世代」とはベースで持っている知識量や咀嚼量、自分の中で流れているテンポ感が全然違う、と思っている。それをありありと感じさせられるような時間だった。自分なんかはまだまだ全然、おそらくダウンタウンからずっとみんなの中で至上のものとされているような笑いの価値観、1本のネタの中に1つの超強力なボケや発明があればそれでネタは1本作れる、という価値観でお笑いを見ているけど、彼らはきっとそんなテンポ感で生きていない。そしてこの割合は今後確実に自分たちの側が「古い側」になっていく。そんな戦慄すらあった。

・あともう一つ挙げるとすれば、良い意味で演者と客席の距離が近かった、今回は別に何の前情報も持たない一見さんの人が来るようなライブではない、だいたいどういう演者が出てどういう内容かをわかっている人たちばかりが詰めかけていて、それなりに価値観やその辺の共有もされているし、お笑いについてのリテラシーもそれなりに高い人たちばかりが見ているので、本当は(全くの初見の人たちも意識するとしたら)もっと説明をつけないとさすがに判らないだろう、というボケも次々に決まっていくし、むしろそこの「ちょっと説明が省略されているから、一瞬理解できずに聞き流しかけたすぐ後にみんな意味が(各自の頭の中で)理解が組み立てられて笑いになる」みたいなトリックにさえなっていた。わかんない人が来てたら「わかんないんですけど」のままになる。その辺がうまくフィルタリングされていて、見る側とやる側のレベルが良い感じに高いとこでちょうど結ばれていたのも2時間ずっとすごい一体感になっていた理由だと思う。

 

・以上、これを書き残したとて、やっぱり観に来てなかった人にはわからないだろうし、観てた人ならすごかったのは知ってるよって話だし、これがネットに残されて何のためになるのか全くわかんないけど、僕はこの熱をアウトプットさえできれば今日はゆっくり休めて明日から仕事に戻れるので大変助かります。本当に凄いライブだったと思う、自分の知らないジャンルや世界にはまだまだまだまだすごいものがあるんだな、と思った話でした。

昨日のこと

・昨日は珍しく早めに起きられて、なんなら席をとっている新幹線が来るより1本早い電車に乗るくらいの時間で動いていた。それだけ緊張していたし眠れていなかっただけかもしれない。何にせよ、予定は狂ってなかったはずだった。

・家を出た瞬間に気づいた。行きの新幹線の券は持っている、けど帰りの券は持ってない。帰りの券はだいぶ前に予約した「ぷらっとこだま」だからJTBの袋に入ったままどこかにしまってあるはずだ。あの袋をカバンに入れた記憶はない。多分、持ってない。すぐ家に戻って荷物を確認する。案の定ない。でも、最後にどこに片付けたかの記憶も、ない。

・急がなくてもいい。席を取っている新幹線が来るまでにはまだ20分ほど余裕があるし、なんならそれを逃しても自由席になるだけで東京につかないといけない時間までにはまだ2時間はある。と思いながら部屋を探し出すけど全然見つからない。なんせどこにしまったかの記憶がないし、自分がしまってそうな場所はほぼほぼ確かめたけど、ない。

・時間はあっという間に過ぎる。とりあえず、あと5分くらいで見つけられないなら新幹線の指定席は諦めないといけない。どうする。このまま部屋を探し続けるほうに賭けるか、大人しく諦めて帰りは新しく新幹線の券を買うか、夜行バスとかなんか別の手段を考えるか。これからそこそこ大きなイベントをやらないといけない時にこんなとこでつまづいてられない。そもそも、まだ家からも出ていない。

・ああもうこれだ。自分はいつもこういうつまづき方をする。変なところで余裕を持っていて、土壇場でそこそこ詰んでジタバタする。それでもギリギリでなんとかなってきてるから、また次も同じように土壇場で急に詰んだりする。本当に悪い癖だと思う

・とか思ってる時に、急に自分が持ってきてる旅行カバンの隠しポケットみたいな部分のことを思い出した。そういえば、一番初めにここに入れてなかったか、というのを急に思い出した。あった。あるんかい。ずっと自分は一人で何をしているのか。

・時間はギリギリだけど、走れば最初の予定通りの新幹線が来るまでの時間には間に合いそうだった。慌てて駅まで走る。電車に飛び乗る。結局、予定通りに東京まで出てくることができた。いくつになっても落ち着きと注意のない人生だと思う。つらい。

 

・そんなこんなで東京につき、だいぶ早い目に下高井戸の公民館に移動した。予約していた会議室に時間通りに入り、朝から思いっきりドタバタしてきた感じなんか微塵も出さずに、自分が主催でやっている大喜利会をちゃんと全て予定通りに開いてやるような顔をしていたら、備品のプロジェクターがVGA入力しかないのに気付いた。自分が持ってきている映像出力はHDMIしかない。定刻で始めるにはあと10分。調べたら一番近いヤマダ電機は2駅先だ。また詰んだ。

・すいません!!ちょっと開始遅れます!!!と叫んで飛び出す。タクシーを拾う。東京無線のタクシーだった。そういえば旧M−1を観てた頃、一度は東京無線のタクシー乗りたいなと思ってたのを思い出した。伏線を回収すな。

 

・そんなこんなで開始はちょっと遅れたけどゲストで来てもらっていたデッサンビームのお二人の機転のおかげで繋いでおいてもらってて、東京での1日目の予定、自分がこっちでやりたかった大喜利会自体は特にトラブルや予定の狂いもなく、なんとか楽しい内容で終えることができた。その辺のことはまた後日動画にしていけたらと思う。とにかくめちゃくちゃ面白かった。

・会を終え、会議室を引き上げて、新宿までステイゴールドさんに付き合ってもらっていろんな話をして別れて、ひとりでちょっとだけ反省会をして宿に戻った。めちゃくちゃ寝た。朝の6時から、どこかのカプセルでおじさんが超ご機嫌に大声で歌ってるPretenderで起こされてしまった。おじさん社会常識ないのにセンスだけアップデートすな。

・とかあって、身支度して荷物を預けて今日は今日で遊ぶ1日になっている。好き勝手させてもらってます。

ダサい

・ネタパレでやってたニューヨークの「音ゲーうまいやつ全員ダサいねん」というフレーズがめちゃくちゃニューヨークだと思った。自分はお笑いもニューヨークも好きだけど、音ゲーもずっと好きな側の人間でもあるので、そっち側から見たら思うことがないわけではない。音ゲーって格好良く思われたくてやってる人そんなに居ないんですよ、とか、もっというと自分がやってるのを誰かが後ろで見てる時その視線はどういう視線なのか、それくらいは大体みんな判ってるんですよ、とか。でも、この図式こそがお笑いなのだ。みんなが、そんなにちゃんとは知らないけどなんとなく知ってるトコを、みんなから見た「多分そうなんだろう」を正確に掘り出して斬る時に笑いが生まれる。似たような感じでよく笑いのネタにされがちなところで「タピオカ」「TikTok」「西野カナ」「オタク」「京都人」なんかも、みんなけしてそこまで知りもしないで、なんとなくバカっぽい人たちがバカっぽく好んでいそうなイメージで面白おかしくデフォルメして笑いにする。多分、本当はその時にそれぞれの当事者にしたら「何も知らないで」と思う部分も絶対になくはないと思う。そういうことなんだと思う。何かを笑いにする、というのは常に加害行為でもある、というのは否定しないほうがいいと思う。自分を含め、誰かが何かを面白がっているとき、常に誰かは傷ついているし、その刃が自分に回ってくるときもある。その時だけ正当性に訴えるのは、あまり格好よろしくないと思う話。

・あと「ダサい」って言葉をダサくなく使えるのは、本当にニューヨークのすごいところだと思う。これはもっと長くなりそうなので(これ以上長いとなんか音ゲーdisられて顔真っ赤になってるのかと思われそうだし)、またいずれ。

 

・明日から3連休を取る。多分8年ぶりくらいだと思う。やった。働き方改革とかで3月末までに何が何でも5回有給を取らないといけないらしく、3月にもあと2日どっかで連休を取る。その代わり今月と来月で5回休日出勤をしないといけないらしい。なんだこれ。我々は中国の猿か。