飛べ

わーわー言うとります。

「別れ」というコスト

今年の2月に入社した会社を退職した。RTAだとしたらなかなかの好記録だが、あいにく会社RTAはやってない。普通に色々と思うことがあって辞めさせてもらった。

 

全部荷物を片付けて出ていく寸前に、入社した日以来に社長*1が現れて「なんで辞めるの?」と聞かれた。返答に困り「まあ色々と…」と濁した。社長はあからさまに納得されていないようだった。

そもそも「なんで辞めるの?」という質問に答えられるような簡潔な理由はない。1ヶ月ほど勤めていて「こりゃダメだ…」と思うことが積もり積もって、それらの問題に対して自分がどういうアプローチをすれば改善に繋げられるのか考えて動いたけど、ことごとく何も響かず、挙句の果てに「こりゃもう本当にダメだ…」というダメ押しのような事件がいくつも起き、心の中でダムが崩壊するように「辞めよう…」と思ったから、なんだけど、それを社長に一言で説明するのは難しすぎるし、かといって全部説明するのは酷すぎる。

 

 

人間は基本的に「別れ」をそんなに好まないと思う。できるなら普通は別れたくない。

それでも、せっかく築いてきた人間関係の縁を切りたくなったり、距離を置きたくなったり、自分が所属する組織や集まりから離脱したくなったりする時、その人の中では「この別れで失うもの」の大きさよりも「ここで別れないことで自分が今後も失い続けていくもの」の方が大きくなってしまっている、それは金銭であったり、時間や体力であったり、自己肯定感や尊厳*2であったり、そういうものが「ここに留まること」で失わないもの(安定した暮らしや収入、今まで通りの人間関係)の大きさを上回ってきている、という緊急事態に達した時に、人は「ここを離れよう」「この人と別れよう」と決心するんだと思う。

そういう意味では、別れの理由なんて本当に長い長いドミノの最後の一押しに過ぎない、本当の理由や問題はそこまでの過程に至るまでにあったはずなんだが、別れを切り出される側はそんな風に思っていないから「そんな(些細な)理由で別れる??」みたいなリアクションを時にしてしまう。自分がその相手から膨大な何かを奪い続けてきた事に自覚や、悪いことをしてきたという認識がないから、最後のたった一押しの部分だけを見て「こんな理由で別れるだなんて」と捉えてしまう。けど、きっと本質はそこではないのだと思う。

 

別れる方もしんどい。別れることで自分が何かを奪われ続けることからは守ることができても、そのために失ってしまった自分の居場所や人間関係を新たに構築し直さないといけない。今回の自分で言えばまた仕事を探し直さないといけない。本当にイヤだ。

でも、逆に言えば「別れ」のコストが「別れないことで失い続けるもの」のコストを下回っているなら、人は別れてしまうべきだとも思う。そこに我慢や忍耐の美学はあんまり必要ないように思う。

自分は自分で、今度こそちゃんと自分が居場所になれる職場を探さないといけない。メンドイけど。

*1:基本的に現場にはほとんど顔を出さないし、現場がどんな感じなのかも関知されていない方

*2:金銭や時間のように可視化できないだけ厄介だけど、大抵の人間同士の「別れ」の理由はこれ、どちらかがどちらかの自己肯定感や尊厳を食い潰している関係になっている時に、食い潰されている側が我慢できなくなって逃げたり、壊れてしまったりして「別れ」が発生していると思う