飛べ

わーわー言うとります。

「別れ」というコスト

今年の2月に入社した会社を退職した。RTAだとしたらなかなかの好記録だが、あいにく会社RTAはやってない。普通に色々と思うことがあって辞めさせてもらった。

 

全部荷物を片付けて出ていく寸前に、入社した日以来に社長*1が現れて「なんで辞めるの?」と聞かれた。返答に困り「まあ色々と…」と濁した。社長はあからさまに納得されていないようだった。

そもそも「なんで辞めるの?」という質問に答えられるような簡潔な理由はない。1ヶ月ほど勤めていて「こりゃダメだ…」と思うことが積もり積もって、それらの問題に対して自分がどういうアプローチをすれば改善に繋げられるのか考えて動いたけど、ことごとく何も響かず、挙句の果てに「こりゃもう本当にダメだ…」というダメ押しのような事件がいくつも起き、心の中でダムが崩壊するように「辞めよう…」と思ったから、なんだけど、それを社長に一言で説明するのは難しすぎるし、かといって全部説明するのは酷すぎる。

 

 

人間は基本的に「別れ」をそんなに好まないと思う。できるなら普通は別れたくない。

それでも、せっかく築いてきた人間関係の縁を切りたくなったり、距離を置きたくなったり、自分が所属する組織や集まりから離脱したくなったりする時、その人の中では「この別れで失うもの」の大きさよりも「ここで別れないことで自分が今後も失い続けていくもの」の方が大きくなってしまっている、それは金銭であったり、時間や体力であったり、自己肯定感や尊厳*2であったり、そういうものが「ここに留まること」で失わないもの(安定した暮らしや収入、今まで通りの人間関係)の大きさを上回ってきている、という緊急事態に達した時に、人は「ここを離れよう」「この人と別れよう」と決心するんだと思う。

そういう意味では、別れの理由なんて本当に長い長いドミノの最後の一押しに過ぎない、本当の理由や問題はそこまでの過程に至るまでにあったはずなんだが、別れを切り出される側はそんな風に思っていないから「そんな(些細な)理由で別れる??」みたいなリアクションを時にしてしまう。自分がその相手から膨大な何かを奪い続けてきた事に自覚や、悪いことをしてきたという認識がないから、最後のたった一押しの部分だけを見て「こんな理由で別れるだなんて」と捉えてしまう。けど、きっと本質はそこではないのだと思う。

 

別れる方もしんどい。別れることで自分が何かを奪われ続けることからは守ることができても、そのために失ってしまった自分の居場所や人間関係を新たに構築し直さないといけない。今回の自分で言えばまた仕事を探し直さないといけない。本当にイヤだ。

でも、逆に言えば「別れ」のコストが「別れないことで失い続けるもの」のコストを下回っているなら、人は別れてしまうべきだとも思う。そこに我慢や忍耐の美学はあんまり必要ないように思う。

自分は自分で、今度こそちゃんと自分が居場所になれる職場を探さないといけない。メンドイけど。

*1:基本的に現場にはほとんど顔を出さないし、現場がどんな感じなのかも関知されていない方

*2:金銭や時間のように可視化できないだけ厄介だけど、大抵の人間同士の「別れ」の理由はこれ、どちらかがどちらかの自己肯定感や尊厳を食い潰している関係になっている時に、食い潰されている側が我慢できなくなって逃げたり、壊れてしまったりして「別れ」が発生していると思う

とにかく今年はなんか色々あったので一度振り返っておこう、みたいな話

今年は自分の中でかなり大きな転機の年だったと思うので、手帳と当時のツイートとか見ながら、この1年で自分は何を経験してきて、その中で何を選択してきて、何を失敗して、どこに向かおうとしているのか、何をやり残しているのか、そういうのを確認しておこうと思います。

 

・1月

 

 1月はまだ前の職場で、正月早々出勤してすぐに血を見たのを覚えている。それはもうすごい血が出ていたし、すぐ救急車が来た。

それから会社から残業と休日出勤の禁止を言い渡されたのも正月だった。とはいえ当時の状況として絶対にそれで職場が回る状況でもなく、色々話し合って「減らせる仕事は減らして、なるべく公休日は休みましょう」という平凡な結論になる。

とはいえ、これを機にほぼ休みの日は出勤しなくなるし、残業も大幅に減ることになる。それで問題が起きてなくはなかったのだが、当時の考えとして「まあいいや」と思ったのを覚えている。この時に春以降、どうなるかの予見はできていた気がする。

 

 この頃に勤めていた職場のことは複雑すぎてよく書けない(あと守秘義務もあるし、本来はそもそも辞めた職場のことをネットとかで書くべきではない)けど、結果10年勤めて、色んな人に自分の事はものすごい否定もされたし、ものすごく認めてくれる人もいたし、その中で何に惑わされるべきでないか、何を信用するべきか、を研ぎ澄まされた10年間だったと思う(というか、そうならないと生き残れなかった)。その結果、聞かなくていい声・惑わされる必要のない否定をなるべく受け流せるようになったら、この年にしてやっと「自分で自分の機嫌を取る/面倒をみる」という事ができるようになった気がする。

 

【Part④】最終決戦!黒幕登場【WinWinWiiin 宮迫博之編】

www.youtube.com

 1月に観た中でいちばん記憶に残ってるコンテンツ。当時、開店延期を繰り返しながら借金だけが増えていくみたいな話ばかりで、誰もが詰んでいる状態に見えていた焼肉屋問題に対して、オリラジの中田さんが看板キャラクターの宮迫さんだけじゃなくて実質的な経営者陣を引きずり出して、「焼肉屋は結局誰がやりたくて、誰が金を出していて、誰が決定権を持っていて、誰がこんなグダグダにしていて、今から何をどうして、いくら金がかかるのか」を冷静かつ論理的に整理していく話し合いの録画。

現実はドラマではないので、例え反撃のターンになっても倍返しはないし、土下座もないし、そもそも相手を追求するターンの時に声を荒らげたりしても何も良い事はない。ただただ冷静に現実のデータのみを共有して「この状態から良くしていきたい、という認識は(貴方も私も)同じなんですよね」という着地点を確認しながら「じゃあこうするのが最善手じゃないですが、なぜそれをやりたくないんですか(何か理由があるんですか)、それとも何か他にこれよりもいい手があるんですか(ないですよね)」という方向に淡々と詰めていくと、相手側は自然と身動きが取れなくなる。当時、毎日くらい会社と大揉めしてはブチギレてばかりだったので、これは家で観ながらものすごく反省したのを覚えてる。

 

 あと1月はグリエルシャーベットさんの単独ライブ「とばない飛行機」のオープニングを作らせてもらった。グリエルのお二人に時間もらって素材撮影させてもらったこともあり、いい意味でエモエモな感じでもなく、無味無臭だけどスタイリッシュな系の映像でもない、割といいのが出来たと思ってる。ライブ自体もすごく面白かった。二人ともすごい。

www.youtube.com

 

・2月

 

 2月は職場でコロナが出た。むしろそれまでの約2年間、よく出なかったものだとも思ったが(そして春までワンチャン逃げ切れるかも…とも思っていたが、)逃げ切れなかった。自分も感染したと思い、数日は気が気じゃなかったけど、幸い自分は難を逃れていた。それ以降、職場はほぼ閉鎖みたいな状況になり、感染してなかった自分だけ一人で出社して各方面への報告とか連絡業務を行い、午後には退社して家で誰とも会わずに息を殺して過ごす、みたいな日々になる。

 

 そんなわけで2月は急に暇になったので、以前に買ってたまま全然遊べてなかったDJMAX RESPECT Vにハマるようになる。

store.steampowered.com

PCで遊べる(特殊な専用コントローラーを必要としないタイプの)音楽ゲームとしては本当に今いちばん面白くて内容が充実していると思う。特にDJMAXの歴史を知っているプレイヤーなら、PCゲーム上でテクニカやDMP3の6.2T譜面などの特殊モードも再現されているのは本当に感動すると思うし、復活させてくれてありがとう、もう一度遊ばせてくれてありがとう…って思う。PRESS X KEY TO PAY RESPECT

www.youtube.com

 

 

 他にもこの時期、急に暇になったことで本を読んだり資格の勉強をしたりするようになった。良くも悪くもこの時期に職場に行く頻度が落ちたこと、自分がプライベートを半分取り戻したことが、恐らく「自分は春で退社するんだろうなあ」という予感に対して直視を避けさせてくれていた気がする。

 

・3月

 

 自分の勤務先は3月末で営業が終了することが前から決まっており、4月以降は(なんとなくそうなるんじゃないかとは思っていたけど)同じ会社で仕事を続けるのでなく、退社させてもらうことになる。

転職めんどいなー!やだなー!と思ってたけど、退職する旨をお世話になってた他社のケアマネさんなどに報告する度に「こんな子を手放すなんてもったいない」「アンタはどこ行っても必要とされるから大丈夫よ」って言ってもらえて、その度に心の中にあるハリボテの自信の貯金箱にコインがチャリンチャリンと入っていく音がしていた。

 

そして3月も半分が過ぎようとする頃、やっと市から(自分の勤務先についても)コロナ明けというか営業再開の許可が出る。それから3月末の営業最終日までの日々のことは「すごかった」としか言いようがない。貴重な経験をした、と言い換えていこうと思う。

 

 

結局のところ自分の勤務先で4月以降に契約を更新した人はほぼほぼ居なかったので、最終日に営業終了してからピザとかお寿司とか買ってきてシンプルなパーティーをした。色んな話をした。

 

・4月

 

 自分の職場は3月末で営業は終了したけど、それからの建物ごとの引き揚げを誰がするか全く決まっておらず、誰もやりたくないらしく(どんな会社や)、自分がすることになる。ということで4月中旬くらいまで、ひとりで出社してはコツコツと書類を整理して箱に詰めて本社に送り、粗大ゴミを出して、まだ使える家電や電子機器は社内の別の施設に持っていく、みたいな日々を送る。

 

 

自分の職場だった場所が日に日に何もない空間になっていくのは思ったよりもしんどかった。けど、もうここまですれば流石に悔いは何も残らなかった。

 

 

 職場を空っぽにして有給消化に突入した最初の日、なぜか山にいた。

トレイルランのイベントに参加していた。陸上経験もないし、学生の時も体育会系ではなかったし、トレランどころかマラソンの経験もない。1日で30km走るイベントだが、そもそも1日で30kmも走ったり歩いたりしたこともない。

でも、なぜか無性に「自分はこれをやらないといけない」という直感のようなものがあった。これができなかったら転職もうまく出来ない気がする。これからは、これくらいの事をやっていかないといけないのだ。と思いながら、見よう見まねで他のランナーの人をついていくように走ったけど、すぐに全然ついていけなくなった。

とはいえ最後尾の方には自分を含めて数人がトロトロ歩いており、その人達が山の中で迷子になったり勝手に帰ったりしないように定期的に様子を見に来るペーサーの人が居て、「お兄さんここまで来たら最後まで行きましょうよ~」とか励まされつつ、結果的に完走させてもらうことができた。500人くらい参加していてビリから2番だった。

全然かっこいい出来事ではなかったけど、この日のことは自分の中で大きな転機になった気がする。これをもって旧職場の事は色んな意味で区切りがついて、新しい人生を始めないといけない、と思えるようになった。

 

 

 あと4月はめっちゃベタに(当時大流行していた)Vampire Survivorsにドはまりした。

store.steampowered.com

今にしたら膨大な時間の無駄だったなー!と思わないでもないけど、「ゲームで膨大な時間を無駄にする」というのも自分の人生をリセットする上で必要な時間だったようにも思う。

 

・5月

 

 職場に行くこともなくなったけど有給消化は6月まで続くので、5月はめちゃくちゃ自由に生きた。7年くらい使ったiPhone7からの機種変更をしたり、免許の更新をしたり、朝からNGKに新喜劇を観に行ったり、街裏ぴんくさんのDVDを売ってるだけ買って擦り切れるくらい観たり、梅田のサウナ施設・大東洋に行ってほうじ茶のロウリュでぶっ飛んだり、色んな人と会ったりご飯に誘ってもらったり、新しいグラベルロードを買って毎日のように乗ったりした。とにかくむさぼるように遊んだ。

ある人にご飯に誘ってもらった時に「ゴハさんってめっちゃ趣味ありますよね」って言われて、その時はそれが全然自分ではそう思ってなかったけど、あとあとになって思う。たしかに自分はめっちゃ趣味があるし、それが自分をなんとか自分たらしめていると思う。

 

あと、自分の住んでる地域の近くの低山を片っ端から歩いた。

山と高原地図」の京都編を片手に、今まで踏み入ったことのなかった京都市をぐるっと囲んでいる里山を日替わりで歩いて回った。理由は判らないけど、ただただ無心に稜線を歩いている時、自分の中で「自分はこれを必要としている」という感覚がものすごく満たされていく。ホントに理由がわからないんだけど、自分の中で滅多にない「趣味がひとつ増える」という感じ、それが低山歩きだとは思いもしなかったなー、と思っている。

 

 

【公式Vtuber誕生!】Amarus🎥らびゅりんす【有吉の壁】

www.youtube.com

Aマッソ、自分たちの発信で作るお笑いも面白いけど、売れてきたことでこうやって自分たち以外に「素材」として扱われることで(=けして自分たちの発信ではやってるわけではない、という形で出せるプロダクツとして)こういう歌モノとか「ちょい足しAマッソ」みたいな形で出てくるAマッソの、けして本意ではないけど…みたいな感じ、でもその割にはしっかりやりきっていく感じ、めちゃくちゃいいと思う。特にこの曲の完成度、未だに高すぎると思う。

 

「千鳥の鬼レンチャン」は今年ずっと面白かった番組の一つだと思う。こういうタイプの番組でありながら「名前を奪われた木山裕策」「ノブvs.島谷ひとみ」「山内vs.丘みどり」「何回出てもなんともならない徳永ゆうき」みたいな縦軸があり、随所で出てくる番組側の悪ふざけ演出も悪目立ちしてなくて、でも物凄くふざけすぎていて、今ずっと楽しみな番組になっている。あとTVerのおかげで観たい時間に観られること、途中まで観て終了しても、また後から簡単に続きから場所も選ばずに再生できる事で、こういうタイプのゴールデンタイムに2時間とか3時間とかあるタイプのバラエティ番組が本当に観やすくなったと思う。TVerさまさまです。

 

・6月

 

しょっぱいパンさん主催の飯°杯に参加した。会場の廃校(をリノベした施設)まで、ベンチさんとすり身さんとカタンさんに同乗してもらって車で行ったんだけど、高速道路を走るのが10年ぶりくらいだったので運転しながら気が気じゃなかったのを覚えている。なんとか無事に行って帰ってこれて良かった。というのと、廃校を使っての企画大喜利は本当にめちゃくちゃ楽しかった。

 

この頃からホシノ企画として「N」を再開したり、8月にやる「スーパールーキー決定戦2022大阪」の準備が始まったり、ときどきバッセンやマガユラ大喜利に寄せてもらえるようになったりして、久しぶりに大喜利会を作る側、またはプレイヤーとしての自分の感覚を取り戻すようになる。「N」の準備に取り掛かった時、久しぶりすぎてぜんっぜんお題が作れなくてビックリした。なんでもやり続けていないと錆びついていく。

 

そして色々あったけど、なんやかんやで各所の調整がギリッギリで間に合って有給消化が終わるとほぼ同時に職業訓練の学校に通えることになる。介護関係の仕事は10年以上ずっと携わっているけどヘルパーとしての資格を取っていない(自分はソーシャルワーカーが主たる職種だったので必要なかったというのもあるけど、だとしてもヘルパー資格を取ってない、というのは結構レアケースだったので)というのは自分でも弱点であり、いつかはなんとかしないといけない、と思ってたので、せっかくなのでこの機会を利用することにした。

ただ、この時は割と気楽に「ニセ学生生活」とか言ってたけど、実際にはそんな甘いものではなくてちゃんと苦しむことになるんだけど、それはまだこの時は知らない話。

 

ニシダ更生プログラム

www.youtube.com

6月に観て一番残っているコンテンツ。企画自体の凄さやニシダさんという才能も凄いけど、それらを含めても最後に全部持っていくくらい、ラストに出てくる山里亮太さんの、恐らく意図的にテレビでは出さないようにしている(と自分は勝手に思っている)部分、ライブやラジオのような後に残らない場所でしか普段は(密室芸のように、自分の本当のお得意様の前でしか)出してきていないような山里亮太という人の根底にある価値観や思想をフルオープンにしてニシダさんと対峙している時の喋りの凄さ、それがこうやってYouTubeのような場所に半永久的にアーカイブされているの、未だに何かのバグなのでは、と思っている。

 

・7月

 

 7月は新しい生活(学校通い)が始まって、新しい生活のリズムを作るのにやたらと試行錯誤してた気がする。学校が結構遠くて電車で片道1時間半くらいかかるので、色んなラジオを聴いてみたり、本に読むようにしてみたり、自分が聴いてきていないジャンルの音楽を聴くようにしてみたり、学校が終わってからもまっすぐ帰るのか、この時間を使って何かを始めるのか、とにかく色んな試行錯誤をしていた気がする。

社会人になってからの学校通いの日々は楽しくもあり、普通に毎日の持ち帰りの課題が思ってたよりも全然多くて大変だったりしてしんどかったり、あと「色んな経歴や年齢の大人が集まっているクラス」という空間って本当に色んな事があるなあ。。。と思ったりする日々で、気楽にもう一度学生生活だーーって感じではなかったけど、しかし楽しい日々ではあったと思う。でも大変だった。

 

「スーパールーキー決定戦」はなかなかエントリーが埋まらなかったし、何度も色んな人に「先に審査員や参加者を公開しては?」と言われたけど、絶対にエントリーが埋まってから公開したかったのでそうさせてもらった。それ位、吉永さんがツモってきた審査員とMCのメンバーが良すぎたので、エントリーが埋まってからビックリしてもらいたかった。実際、この時の反響の良さで「このイベントは成功する」って確信を持ちながら準備できたと思う。

 

「2700 八十島のメンタルの話」は配信ライブだったので今からアーカイブなど参照できないのが悔やまれますが、本当に凄いライブだったと思う。7月ダントツに印象に残ってるコンテンツ。

 

・8月

 

 学校通い生活のリズムも少し定着して、新しい環境に慣れつつ、それ以外の時間は「スーパールーキー決定戦」の準備をしてた気がする。細かいイベントは色々あったけど、8月はとにかくその記憶が大きい。

 

オープニング映像は異様に気合が入ったものを作れた。何年も前に「福岡地獄大喜利」に参加した時に、らんちゅうさん作成のOPがやはり参加者全員の名前とアイコンが出てくる映像になっていて、自分がそこに入っていたことにメチャクチャ感動したことがあったので、それをやりたいと思うとこがあり、実際にひとりずつアイコンが出てきたところでみんながザワザワ…とした感じ、そのまま映像終わりで明転した時の拍手で、本当にこれはやってよかったと思えたし、その後の本編の内容の良さといったらもう、本当に凄いイベントをやれてしまったと思う。吉永さん本当にありがとう。またやろうね

 

あと8月はなぜかずっと避けていた「メイドインアビス」に手を出してしまい、案の定ドはまりして、大凹みした。とはいえ11巻まで出ている状態で読み始められて良かったと思う、これ5巻とか10巻辺りで読み終わって次巻を待つ状態にさせられてたら、凹みの方が大きすぎて参ってしまってた可能性がある

 

・9月

 

 生活のリズムがかなり安定して、学校通い、課題、その隙間に自分のしたいこと、のバランスがいちばん取れていた時期だった。あと学校に通う定期券を使って行ける範囲内にIIDXのあるゲームセンターがあり、毎日のように帰りに寄ってDPのリハビリをしていた。

 

この時期にDP☆10を全部クリアしてしまうのが目標だったが結局できなかった(そしてこの後新作が出るので、まだ結局200曲くらい未クリアは残っている)、今はまた通えてないけど、ただただIIDXは自分にとって一生続く趣味だと思う。自分がくたばるかシリーズが終了するか、どっちが先か勝負だと思ってる。

 

あとこの時期に「AIによる画像の自動生成」ブームがあり、それと引っ掛けて「AI画像生成クイズ」を作った。これは単純に面白かったと思う。

 

・10月

 

 「一撃.7」のオープニングを作らせてもらった、これも楽しかった。スーパールーキーの時がアゲでエモな感じだったので、今回は敢えてちょっと引いた感じ、落ち着いているけど中身はアツい、みたいな感じで作ったつもり。水の中でインクが拡がる映像素材と、良い回答が浮かんだ時に脳内でアドレナリンが走る感じを重ねたつもりだったんですが、伝わってたら良いな

 

 10月もずいぶん遊んでた気がする、記録を見返しても引くほど遊んでいる。笑い飯の単独を観に東京に行って、同じライブを観に来られてた手長渕さんと開演前に行ったハンバーグの店がメチャクチャに美味しかったりした。

あと前から行きたかったWGCに行った、現在では現役で稼働していない音楽ゲームを多数保管されて稼働されている店で、ここに行くために1日開けておいたけど、案の定1日なんかでは全然時間が足りなかった。また絶対に行く。

 

久しぶりにシンプルな企画大喜利会としてのホシノ企画をやったのも10月だった。色々と思うところがあって全力で行こうと決めており、ラジオ用の機材とかニンテンドースイッチとかミラーボールとかサイリウムとか、企画が固まる度に荷物が増えていき収拾がつかなかったけど、なんとか形に収まってよかったと思う。

夜枠の「生大喜利1A」はちょっと自分のやりたかった事に自分の喋りの技量が追いついてなかったと思う(スイマセン)。またそのうちリベンジします

 

 

www.youtube.com

www.youtube.com

この頃ベッタベタにべた惚れした曲。どっちもリアルに再生回数のうち100回くらい自分だと思う、好きすぎる

 

・11月

 

 11月は学校通いも終盤になり、座学がほぼ無くなって経管栄養とか喀痰吸引などの医療系の実技演習ばかりになり色んな意味で精神力が削られる日々だったのと、12月の「関西大喜利グランプリ」に向けてのいろんな準備が進んでいくのと、ホシノ企画での「ATHLETICS」2週連続という3つで毎日ドタバタしていた。

 

「ATHLETICS」2週連続開催というのは無謀な企画だったと思う(実際にちょっと無理があったし)けど、やってみてそれだけのドラマもあり、楽しんで頂けたとは思っている。10月のホシノ企画での失敗からMCは外注性にして、redの回はグリエルシャーベットさん、blueの回は川嵜でし太さん・ダンジョンのTさんにやって頂き、自分は機材操作と集計に特化することでクオリティは爆上がりしてたと思う、本当にありがとうございました。あと、もしかしたら、次回また「ATHLETICS」をやる時も短いスパンでの2回連続にして、片方は定員24、片方は定員16にしても良いのかもしれないと思う。

 

関西大喜利グランプリについてはこの頃から運営グループでの話し合いが活発になってきたり、審査員の補充をめぐって自分の意見を通させてもらったり、せいいちさんとATHLETICSの終わりにラーメン屋で色んな話を聞いてもらったり、この頃から急速に形が見えてきてファイナルに向かって動き出していく感じがした。どうしても自分としては個人商店で企画をやっている側面が強く、団体行動としては色んなご迷惑をおかけしたと思うけど、その分それだけのサポートは出来ていたと思いたい。

 

あと、どうにか次の仕事が決まった。

 

・12月

 

 12月はいよいよ学校通い自体がなくなり、約3週間ほど実際に施設で従事する日々で、ここでも色々なことがあったけど色々な学びがあったと思う。

 

そして12月は今年の私達にとっての集大成というか、関西大喜利グランプリ。

例によってオープニングを作らせてもらった、ものすごく長くて素材山ほど乗っけてエモいやつにするのも考えてたけど、結局のところ色々思うところがあってものすごくあっさりしたものになった。時間がなかったのもあるけど、でもこれはこれで良かったとも思っている。

 

あとはM-1があったり、新しい職場との調整があったりしつつ、この時期に観たコンテンツでは「オモロ川フィルムブラック」がメチャクチャ面白かった。

 

オモロ川フィルムブラック#1『安否不明の同期、捜索開始』【黒帯会議】www.youtube.com

けして意図されたものではなかったけど同じような時期に進行した赤もみじのドキュメンタリーとは対象的に、けして撮影や編集にそこまでの時間や労力を注ぎ込んでいるわけでもない(手抜きとかいう意味ではなく、いい意味で人生を賭けてやっているような労力を感じさせない)軽さで、2年ほど前から消息を絶っている、とある芸人さんが今どこで何をしているのかを、どこか本気で心配もしつつ、ずっと茶化しつつもありながら追っていき、最終回の手前でとんでもない着地点を感じさせつつ、最終回でそういう結末に行くんかい、って感じ、何もかもが黒帯って感じで魅力的だった。

 

 

などなどなど、色々あってつい数日前に学校通いも終わり、年が明けたら新しい職場にも行くことになるし(正確には1月はまだ国試などがあって、本格的に働きだすのは2月からだけど)、本当に今年は自分にとって(ヘタしたら人生で最大になるのかもしれない)転機の年だったんだろうな、と思う。やり残していることも忘れていることも山ほどあると思うし、これからぶつかる壁も全然あると思うんだけど、乗り越えていかないといけないし、乗り越えられると思ってやっていかないといけないと思う。

旧年中は本当にお世話になりました。

来年もよろしくお願い申し上げます。敬具。

「笑い飯の漫才天国」

少し前に、たまたま観てた「よんチャンTV」でYMOの特集をしていて(なぜ今??)、その中で「YMOはセールスが上がろうと下がろうと『自分たちのやりたい音楽をやる』という方向性をブレさせなかった」という話から、司会の人だったかが曜日レギュラーのチュートリアルに「チュートリアルは自分たちのやりたい笑いとファンが求める笑いをどう分けていますか?」という質問をしていて、徳井さんが

「普段の劇場の寄席は必ずしも自分たちのコアなファンが来ているわけではないし、そういう人達に「あぁ、今日はチュートリアルが観れたなあ」と思っていただけるような漫才をしないといけない。逆に単独ライブは自分たちのファンが来てくれているので自分たちの見せたい笑いができますね」

というようなコメントをされていた。恐らく、多くの吉本の中堅~ベテランの芸人さんの指針もそれに近いのではないだろうか。

 

12月12日、日曜日。なんばグランド花月で「笑い飯の漫才天国 結成20+1周年記念ツアー」を観た。

当たり前といえば当たり前だけど、毎年開催されている笑い飯の単独ライブでは毎回数本の新作漫才がある。そしてそれらの新作はその後、ほぼ全く劇場でもテレビなどでも観られることなく、演られなくなっていく。

テレビの漫才番組に出ている時の笑い飯は、今も「M-1チャンピオンとしての笑い飯を観たい」という視聴者に向けて、あの延長線上のスタイルで漫才をしているように思う。劇場の普段の寄席で観られる笑い飯は、もっとぼんやりと「名前くらいは聞いたことある」くらいの、観光ツアーの一環や新喜劇目当てくらいで来たような中高年や、旧M-1の時代にまだ物心ついてなかったような世代にも届くような、もっと誰でも最初からついてこれるような題材で、ひとつひとつを噛み砕いて説明するように始まっていく(そして途中からめちゃくちゃ変なボケもする)ように思う。

笑い飯はずっと好きだけど、前はそういう使い分けが自分にはあまりわからなかった。劇場に観に行く度に同じテンポでハエやシンデレラのネタをしてるのがもうひとつ飲み込めきれなかったり、テレビでも新ネタでもっと面白いのあるんだからやってくれたらいいのに、って思ったりした。今はなんとなくわかるような気がする。年間で何百と舞台に立ち、今までに幾度となくテレビに出てきた人達だからこそ分かる使い分けがあって、その当人たちの判断がずっと正しいということだ。

そんな笑い飯の、劇場だから、テレビだから、という「使い分け」を外した漫才が、毎年の単独ライブでは観られる。そして、どういう何があったのかはわからないが、ここ数年、確実に笑い飯の漫才がさらに面白くなっている。と、少なくとも自分は感じている。

今年のツアーでは「鳥人」の再演もやっていたけど(たまにロープウェーだった回もあったみたいだけど)、今でもテレビでたまにやっているような鳥人とも、M-1の時の鳥人とも全然違う。台本でいうと、①②③④⑤…という順番にボケが(交互に)並んでいるとして、M-1の時はそれを一文字の無駄もなく切り詰めて、後半に向けて上がっていくような熱量とテンポで見せるようにやっていて、最近のテレビで観られる時の鳥人もそこまでガチガチじゃないにしても基本的に①から最後まで順にまっすぐ再生をしていく感じだとしたら、単独で見られるそれは、①から順に二人でやっていくことに変わりはなくても、途中で幾度となくものすごい脱線をする。そのうちの何割かは今回のツアーで全国を回りながら作られた(そしてどんどん長くなっていった)部分だったり、本当に今日の思いつきでボケだして止まらなくなっていそうな部分だったりするけど、そういう「あらかじめ決めておいたネタを一旦置いておいて、脇道にそれていくネタで漫才を続けていく(そして、よきところで本筋までまた戻ってくる)笑い飯」というのが、ちょっと数年前まであまり観られなかったし、そういう漫才をしている姿もちょっと想像できなくなっていた時期があって、今の笑い飯の単独の漫才は観ていて本当に面白いし、哲夫さんが自分の言いたい単語や人名で遊びだして止まらなくなっても西田さんがそれについていく感じとか、逆に西田さんが何回も何回も同じところでループし続けて哲夫さんがまだやるんかいって感じになってるのを西田さんがちょっと楽しんでるくらいの感じとかが、本当にすごくいい。そして勿論、漫才自体も今も物凄く面白い。ゲストの華丸大吉をして「袖で観ていて頭が痛くなった。50近くになって机エンジンとか考えないですよ」「パオーンを身体でハネ返すとか本気で言ってるんだから」と呆れさせるほどの創造性と、それを楽しみに観に来る人を、その期待以上の内容で笑わせてくる凄さが今年もあって、本当にああ、今年も笑い飯の単独が面白くてよかった…と思わされるライブだった。

なんか今回の単独はDVDが出るらしいので観て下さい。テレビでも普段の劇場でも観られない笑い飯がパッケージされて記録に残る、本当に数少ない機会になると思うので。

ていうか売れて欲しいのです。めちゃくちゃ売れて、昔のプラン9みたいに毎回の単独がDVDになればいいのに。

地球あやうし!

いやー、嫌ですね。オリンピックのやつ。何から何まできっしょい話。

 

色々思う所はあるけど、この件を考えるにあたって「90年代サブカルとは何だったか」「渋谷系カルチャーが社会や私(たち)にどういう影響を与えたか」みたいな話は今回は置いておく。その辺の自分語りは今じゃなくていい気がする。

 

誰だってバレてないだけで、本当はしかるべき精算が出来ていない過去の失態なんてひとつやふたつどころじゃなくあるだろうし、「自分にはそんなものはない」という人でも本当は(意識的に隠しているにしても、本当はあるけど認識していないだけにしても)やっぱりひとつやふたつどころじゃなくあると思う。というか、そんな過去がひとつもない人なんて居るのだろうか、くらいに思う。

そんな人達が、有名人の過去の未精算の失態や現在形のスキャンダルが表に出るたびにコメントスクラムを組み、「悪いものを裁いて何が悪い」とみんなでとことん叩き、もし何らかのコメントや会見をしたとして「今更許されるものではない」と別に手を緩めるわけでもなく、結局の所は社会的に死ぬまで追い詰めたい、という毎回のこの運動が、自分にはとても正当性のあるものとは思えない。

それは有名人の過去の失態やスキャンダルが許されるものかどうかの話とセットにする必要はないし、昔にいじめをしていた人が今のうのうと活動していて許せないという義憤がいくらあったとしても、その義憤が当人をみんながいつまでもバッシングし続けていい理由にはならないと思うし、それを「トーンポリシングだ」といわれると、いや違うっしょとしか思えない。

別に「あの人はああいう件があったから私は好きじゃないな」と、自分の中でいつまでも許さない/認めないことは自由だ。ただ、それを目に見える言葉にして集団で送り続けるというのは、その時点で結構ある一線を簡単に越えている気がする。

 

結局の所、本当にこういう問題がいつか解決する時が来るとしたら、それは過去の失態が明るみになった有名人を全員社会的に抹殺した時ではなく、自分たちひとりひとりが過去に精算できてないような事に対して何らかの総括や精算をして、今後につなげていくしかないし、その自分の中にある後ろめたさに誰もが自覚があれば、そこまで激しい言葉と上からの目線で他人を一方的に裁くわけにもいかなくなるはずだと思ったりする。その辺でもきっしょい話だと思っている。自分も自分で精算していかないといけない。

15点

日曜の夜にAmong Usに誘ってもらった。ずっと前に買ったまま一度も遊ぶ機会がないまま放っていたけどメチャクチャ面白かった。というのを水曜の夜にブログに書いている程度には忙しい。

 

「はなつまみ」特番が物凄く面白かった。互いに互いを認めもして煙たがっている感じもする立川志らくさんと神田伯山さん、どちらも落語界のため、講談を広めるため、談志の遺志、色んな理由を出して「自分がテレビやメディアに出ているのは自分のためだけではない」と自らを正当化しながら、相手には「そんな事いって自分が出たがりなだけでしょう」とウラをめくっていく。「俺は偉大だ」と自分で言い切りながら「本当に偉大な人は「俺は偉大だ」と言うわけがないでしょう」「それが芸人というものでしょう」と、自分ですぐにそれを裏返しもする。それらがクレバーな二枚舌でやってる人間のそれではなくて、人間が本当に本音で全部をさらけだそうとしたら「自分は公のために動いている」も「自分は自分自身のために動いている」も本当だし、「自分は自分の仕事にプライドを持っているから、人に聞かれたら「自分は自分の仕事にプライドを持っている」と自信を持って答えられる」も「自分で自分の仕事にプライドを持っている、って人前で言い切れる奴は客観的に観てダサいなと思う」も本当で、とにかくその辺の全てに嘘のない感じ、思っていた以上に何もかもあけすけにぶつかり合う感じが本当に面白かったし、だからこそ志らくさんのオリンピック観とか、M-1審査員として「自分が好きかどうかでしか選べない」も、その言葉だけだとちょっとどうかと思っていただろうけど、そこまでの文脈込みで観ることで、本当にお茶を濁さない、誠実な意味でそうなんだろうな、と思った。とにかく観ていてずっと「あーーこういう話聞きたくないな、意味がないから時間がもったいない」と思う会話のない、味の濃い特番だった。

 

自分が仕事場で一番しんどいなと思うのは、この人ぜったいに本心ではそんな事思ってないよな、っていう事を「こういう事を言える自分ってマジ社会人」って感じで言ってくる人に付き合っている時間で、そこでそれを「それ絶対思ってないですよね」ってバッサリ斬ったとしても「まあそうなんですけど」って相手が認めるわけもないし、ただ険悪になるだけだし、かといってそれに付き合っても、ただ二人で「私達は円滑にコミュニケーションを行える間柄だ」という既成事実を作る儀式のためだけに中身のない会話をして、腹の底では全く相手のことなんて信用してないこともわかっていて、そんな事に時間と精神を消耗したくなさすぎるわけで、中身のない会話をしていないテレビやラジオに触れられると本当に元気になれる。いつまでもその辺に関してはそう思わなくなることを「丸くなる」とか「大人になる」みたいな言い換えを使いたくない。そんな感じ。

128kbps世代

ネットでホメ芸みたいなのをするなら、最低でも何かしら1つは自前の言葉と解釈でその対象がスキな理由とか、みんながそれをスキな理由ってこういうところにあると思うんですよね、みたいなのを言語化するのが筋だと思っている。逆にdisの場合も同様で、他人を否定するのであれば自分はその対象のこういうところが受け入れられない、とか、多くの人にネタにされるくらいよく思われてないけどその理由ってこういうところにあると思うんでうすよね、みたいなのは自前の言葉で明示する必要があると思う。それらがなければ、ただみんながスキだと言ってるものを後乗りで「自分もこれスキなんですよね」とか、みんなが何かを叩いてる時に俺も俺もって入っていくだけ(あるいはこすり倒された理由に自分も乗っかってベットしてるだけで自前の理由が何も感じられないよう)では、それは意味合いが全然変わってくる。自分の立ち位置を確保するためにやるホメ芸やdisと、誰かに何かを届けるため、裾野を広げさせようとしてやる言語化みたいなのは同じくくりではない。と思っている。いや急に何の話。

 

新しい職場に来て、仕事は忙しいけど今の職種はシンプルに楽しいと思ってやれているので忙しい事自体に文句は意外とない。何より、やましくない仕事をしていると、それだけで人間は自己肯定感がそこそこ上がる、というのを実感しているし、やましくある仕事をしていても、同じ職場でみんな同じことをしていたらやましさを感じる機能自体がマヒしていくもんなんだな、というのも実感している。

 

レコードノイズのプチプチ音を意図的に足して「懐かしさ」を演出する音楽があるように、昔のmp3特有のシュワシュワした音像で敢えて仕上げることで「懐かしさ」の演出になっている音楽が、そろそろ出てきてもおかしくないと思っている。いや自分が知らないだけであるのかな。

プロミス

プライムデーで注文したのがいっぱい届いた。新しいクッションとか、洗面具とかリステリンとか、インスタントのコーヒーとか、文房具とかバッテリーと充電器とbluetoothのスピーカーとか。全部職場に持っていく。着々と職場を家化させている。

 

福祉職で会社員っていうと微妙なシチュエーションはいっぱいあって、特に自分の職場では「本来のクライアントの利益や健康を考えればAの選択肢を選ぶべきだが、会社の方針的にはBを選ばないと(自分が)評価されない」とか「コンプライアンスや社会通念上を考えればCの判断をするべきだが、自分の職場の中ではみんなが「Cの判断をするやつなんかダサい」と言っていて、真逆のDを選ぶ人が大多数を占めている」みたいな事が往々にしてあると思う。そういう時に会社や職場の空気に流されて生きる人生もその人の人生だと思うけど、それが受け入れられない人にはアドラーの「より大きな共同体の声を聞け」という考え方は常に自分ひとりでも道を間違えないように生きていける力を与えてくれると思っている。アドラー心理学がスキか嫌いかは人それぞれ好みとか信条とかあると思うけど、特にこの1点に関してはどんな人でも自分の職場や所属する場所で孤立しそうな時に使われて欲しい考え方だと思っている。

 

「千鳥のクセがすごいネタGP」昨日のを録画で観た。どぶろっくの新曲が凄かった。なんだかんだで自分はやっぱり「とんでもないエグいボケをなんでもないように出す」タイプのお笑いが一番痺れる。