飛べ

わーわー言うとります。

とにかく今年はなんか色々あったので一度振り返っておこう、みたいな話

今年は自分の中でかなり大きな転機の年だったと思うので、手帳と当時のツイートとか見ながら、この1年で自分は何を経験してきて、その中で何を選択してきて、何を失敗して、どこに向かおうとしているのか、何をやり残しているのか、そういうのを確認しておこうと思います。

 

・1月

 

 1月はまだ前の職場で、正月早々出勤してすぐに血を見たのを覚えている。それはもうすごい血が出ていたし、すぐ救急車が来た。

それから会社から残業と休日出勤の禁止を言い渡されたのも正月だった。とはいえ当時の状況として絶対にそれで職場が回る状況でもなく、色々話し合って「減らせる仕事は減らして、なるべく公休日は休みましょう」という平凡な結論になる。

とはいえ、これを機にほぼ休みの日は出勤しなくなるし、残業も大幅に減ることになる。それで問題が起きてなくはなかったのだが、当時の考えとして「まあいいや」と思ったのを覚えている。この時に春以降、どうなるかの予見はできていた気がする。

 

 この頃に勤めていた職場のことは複雑すぎてよく書けない(あと守秘義務もあるし、本来はそもそも辞めた職場のことをネットとかで書くべきではない)けど、結果10年勤めて、色んな人に自分の事はものすごい否定もされたし、ものすごく認めてくれる人もいたし、その中で何に惑わされるべきでないか、何を信用するべきか、を研ぎ澄まされた10年間だったと思う(というか、そうならないと生き残れなかった)。その結果、聞かなくていい声・惑わされる必要のない否定をなるべく受け流せるようになったら、この年にしてやっと「自分で自分の機嫌を取る/面倒をみる」という事ができるようになった気がする。

 

【Part④】最終決戦!黒幕登場【WinWinWiiin 宮迫博之編】

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 1月に観た中でいちばん記憶に残ってるコンテンツ。当時、開店延期を繰り返しながら借金だけが増えていくみたいな話ばかりで、誰もが詰んでいる状態に見えていた焼肉屋問題に対して、オリラジの中田さんが看板キャラクターの宮迫さんだけじゃなくて実質的な経営者陣を引きずり出して、「焼肉屋は結局誰がやりたくて、誰が金を出していて、誰が決定権を持っていて、誰がこんなグダグダにしていて、今から何をどうして、いくら金がかかるのか」を冷静かつ論理的に整理していく話し合いの録画。

現実はドラマではないので、例え反撃のターンになっても倍返しはないし、土下座もないし、そもそも相手を追求するターンの時に声を荒らげたりしても何も良い事はない。ただただ冷静に現実のデータのみを共有して「この状態から良くしていきたい、という認識は(貴方も私も)同じなんですよね」という着地点を確認しながら「じゃあこうするのが最善手じゃないですが、なぜそれをやりたくないんですか(何か理由があるんですか)、それとも何か他にこれよりもいい手があるんですか(ないですよね)」という方向に淡々と詰めていくと、相手側は自然と身動きが取れなくなる。当時、毎日くらい会社と大揉めしてはブチギレてばかりだったので、これは家で観ながらものすごく反省したのを覚えてる。

 

 あと1月はグリエルシャーベットさんの単独ライブ「とばない飛行機」のオープニングを作らせてもらった。グリエルのお二人に時間もらって素材撮影させてもらったこともあり、いい意味でエモエモな感じでもなく、無味無臭だけどスタイリッシュな系の映像でもない、割といいのが出来たと思ってる。ライブ自体もすごく面白かった。二人ともすごい。

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・2月

 

 2月は職場でコロナが出た。むしろそれまでの約2年間、よく出なかったものだとも思ったが(そして春までワンチャン逃げ切れるかも…とも思っていたが、)逃げ切れなかった。自分も感染したと思い、数日は気が気じゃなかったけど、幸い自分は難を逃れていた。それ以降、職場はほぼ閉鎖みたいな状況になり、感染してなかった自分だけ一人で出社して各方面への報告とか連絡業務を行い、午後には退社して家で誰とも会わずに息を殺して過ごす、みたいな日々になる。

 

 そんなわけで2月は急に暇になったので、以前に買ってたまま全然遊べてなかったDJMAX RESPECT Vにハマるようになる。

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PCで遊べる(特殊な専用コントローラーを必要としないタイプの)音楽ゲームとしては本当に今いちばん面白くて内容が充実していると思う。特にDJMAXの歴史を知っているプレイヤーなら、PCゲーム上でテクニカやDMP3の6.2T譜面などの特殊モードも再現されているのは本当に感動すると思うし、復活させてくれてありがとう、もう一度遊ばせてくれてありがとう…って思う。PRESS X KEY TO PAY RESPECT

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 他にもこの時期、急に暇になったことで本を読んだり資格の勉強をしたりするようになった。良くも悪くもこの時期に職場に行く頻度が落ちたこと、自分がプライベートを半分取り戻したことが、恐らく「自分は春で退社するんだろうなあ」という予感に対して直視を避けさせてくれていた気がする。

 

・3月

 

 自分の勤務先は3月末で営業が終了することが前から決まっており、4月以降は(なんとなくそうなるんじゃないかとは思っていたけど)同じ会社で仕事を続けるのでなく、退社させてもらうことになる。

転職めんどいなー!やだなー!と思ってたけど、退職する旨をお世話になってた他社のケアマネさんなどに報告する度に「こんな子を手放すなんてもったいない」「アンタはどこ行っても必要とされるから大丈夫よ」って言ってもらえて、その度に心の中にあるハリボテの自信の貯金箱にコインがチャリンチャリンと入っていく音がしていた。

 

そして3月も半分が過ぎようとする頃、やっと市から(自分の勤務先についても)コロナ明けというか営業再開の許可が出る。それから3月末の営業最終日までの日々のことは「すごかった」としか言いようがない。貴重な経験をした、と言い換えていこうと思う。

 

 

結局のところ自分の勤務先で4月以降に契約を更新した人はほぼほぼ居なかったので、最終日に営業終了してからピザとかお寿司とか買ってきてシンプルなパーティーをした。色んな話をした。

 

・4月

 

 自分の職場は3月末で営業は終了したけど、それからの建物ごとの引き揚げを誰がするか全く決まっておらず、誰もやりたくないらしく(どんな会社や)、自分がすることになる。ということで4月中旬くらいまで、ひとりで出社してはコツコツと書類を整理して箱に詰めて本社に送り、粗大ゴミを出して、まだ使える家電や電子機器は社内の別の施設に持っていく、みたいな日々を送る。

 

 

自分の職場だった場所が日に日に何もない空間になっていくのは思ったよりもしんどかった。けど、もうここまですれば流石に悔いは何も残らなかった。

 

 

 職場を空っぽにして有給消化に突入した最初の日、なぜか山にいた。

トレイルランのイベントに参加していた。陸上経験もないし、学生の時も体育会系ではなかったし、トレランどころかマラソンの経験もない。1日で30km走るイベントだが、そもそも1日で30kmも走ったり歩いたりしたこともない。

でも、なぜか無性に「自分はこれをやらないといけない」という直感のようなものがあった。これができなかったら転職もうまく出来ない気がする。これからは、これくらいの事をやっていかないといけないのだ。と思いながら、見よう見まねで他のランナーの人をついていくように走ったけど、すぐに全然ついていけなくなった。

とはいえ最後尾の方には自分を含めて数人がトロトロ歩いており、その人達が山の中で迷子になったり勝手に帰ったりしないように定期的に様子を見に来るペーサーの人が居て、「お兄さんここまで来たら最後まで行きましょうよ~」とか励まされつつ、結果的に完走させてもらうことができた。500人くらい参加していてビリから2番だった。

全然かっこいい出来事ではなかったけど、この日のことは自分の中で大きな転機になった気がする。これをもって旧職場の事は色んな意味で区切りがついて、新しい人生を始めないといけない、と思えるようになった。

 

 

 あと4月はめっちゃベタに(当時大流行していた)Vampire Survivorsにドはまりした。

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今にしたら膨大な時間の無駄だったなー!と思わないでもないけど、「ゲームで膨大な時間を無駄にする」というのも自分の人生をリセットする上で必要な時間だったようにも思う。

 

・5月

 

 職場に行くこともなくなったけど有給消化は6月まで続くので、5月はめちゃくちゃ自由に生きた。7年くらい使ったiPhone7からの機種変更をしたり、免許の更新をしたり、朝からNGKに新喜劇を観に行ったり、街裏ぴんくさんのDVDを売ってるだけ買って擦り切れるくらい観たり、梅田のサウナ施設・大東洋に行ってほうじ茶のロウリュでぶっ飛んだり、色んな人と会ったりご飯に誘ってもらったり、新しいグラベルロードを買って毎日のように乗ったりした。とにかくむさぼるように遊んだ。

ある人にご飯に誘ってもらった時に「ゴハさんってめっちゃ趣味ありますよね」って言われて、その時はそれが全然自分ではそう思ってなかったけど、あとあとになって思う。たしかに自分はめっちゃ趣味があるし、それが自分をなんとか自分たらしめていると思う。

 

あと、自分の住んでる地域の近くの低山を片っ端から歩いた。

山と高原地図」の京都編を片手に、今まで踏み入ったことのなかった京都市をぐるっと囲んでいる里山を日替わりで歩いて回った。理由は判らないけど、ただただ無心に稜線を歩いている時、自分の中で「自分はこれを必要としている」という感覚がものすごく満たされていく。ホントに理由がわからないんだけど、自分の中で滅多にない「趣味がひとつ増える」という感じ、それが低山歩きだとは思いもしなかったなー、と思っている。

 

 

【公式Vtuber誕生!】Amarus🎥らびゅりんす【有吉の壁】

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Aマッソ、自分たちの発信で作るお笑いも面白いけど、売れてきたことでこうやって自分たち以外に「素材」として扱われることで(=けして自分たちの発信ではやってるわけではない、という形で出せるプロダクツとして)こういう歌モノとか「ちょい足しAマッソ」みたいな形で出てくるAマッソの、けして本意ではないけど…みたいな感じ、でもその割にはしっかりやりきっていく感じ、めちゃくちゃいいと思う。特にこの曲の完成度、未だに高すぎると思う。

 

「千鳥の鬼レンチャン」は今年ずっと面白かった番組の一つだと思う。こういうタイプの番組でありながら「名前を奪われた木山裕策」「ノブvs.島谷ひとみ」「山内vs.丘みどり」「何回出てもなんともならない徳永ゆうき」みたいな縦軸があり、随所で出てくる番組側の悪ふざけ演出も悪目立ちしてなくて、でも物凄くふざけすぎていて、今ずっと楽しみな番組になっている。あとTVerのおかげで観たい時間に観られること、途中まで観て終了しても、また後から簡単に続きから場所も選ばずに再生できる事で、こういうタイプのゴールデンタイムに2時間とか3時間とかあるタイプのバラエティ番組が本当に観やすくなったと思う。TVerさまさまです。

 

・6月

 

しょっぱいパンさん主催の飯°杯に参加した。会場の廃校(をリノベした施設)まで、ベンチさんとすり身さんとカタンさんに同乗してもらって車で行ったんだけど、高速道路を走るのが10年ぶりくらいだったので運転しながら気が気じゃなかったのを覚えている。なんとか無事に行って帰ってこれて良かった。というのと、廃校を使っての企画大喜利は本当にめちゃくちゃ楽しかった。

 

この頃からホシノ企画として「N」を再開したり、8月にやる「スーパールーキー決定戦2022大阪」の準備が始まったり、ときどきバッセンやマガユラ大喜利に寄せてもらえるようになったりして、久しぶりに大喜利会を作る側、またはプレイヤーとしての自分の感覚を取り戻すようになる。「N」の準備に取り掛かった時、久しぶりすぎてぜんっぜんお題が作れなくてビックリした。なんでもやり続けていないと錆びついていく。

 

そして色々あったけど、なんやかんやで各所の調整がギリッギリで間に合って有給消化が終わるとほぼ同時に職業訓練の学校に通えることになる。介護関係の仕事は10年以上ずっと携わっているけどヘルパーとしての資格を取っていない(自分はソーシャルワーカーが主たる職種だったので必要なかったというのもあるけど、だとしてもヘルパー資格を取ってない、というのは結構レアケースだったので)というのは自分でも弱点であり、いつかはなんとかしないといけない、と思ってたので、せっかくなのでこの機会を利用することにした。

ただ、この時は割と気楽に「ニセ学生生活」とか言ってたけど、実際にはそんな甘いものではなくてちゃんと苦しむことになるんだけど、それはまだこの時は知らない話。

 

ニシダ更生プログラム

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6月に観て一番残っているコンテンツ。企画自体の凄さやニシダさんという才能も凄いけど、それらを含めても最後に全部持っていくくらい、ラストに出てくる山里亮太さんの、恐らく意図的にテレビでは出さないようにしている(と自分は勝手に思っている)部分、ライブやラジオのような後に残らない場所でしか普段は(密室芸のように、自分の本当のお得意様の前でしか)出してきていないような山里亮太という人の根底にある価値観や思想をフルオープンにしてニシダさんと対峙している時の喋りの凄さ、それがこうやってYouTubeのような場所に半永久的にアーカイブされているの、未だに何かのバグなのでは、と思っている。

 

・7月

 

 7月は新しい生活(学校通い)が始まって、新しい生活のリズムを作るのにやたらと試行錯誤してた気がする。学校が結構遠くて電車で片道1時間半くらいかかるので、色んなラジオを聴いてみたり、本に読むようにしてみたり、自分が聴いてきていないジャンルの音楽を聴くようにしてみたり、学校が終わってからもまっすぐ帰るのか、この時間を使って何かを始めるのか、とにかく色んな試行錯誤をしていた気がする。

社会人になってからの学校通いの日々は楽しくもあり、普通に毎日の持ち帰りの課題が思ってたよりも全然多くて大変だったりしてしんどかったり、あと「色んな経歴や年齢の大人が集まっているクラス」という空間って本当に色んな事があるなあ。。。と思ったりする日々で、気楽にもう一度学生生活だーーって感じではなかったけど、しかし楽しい日々ではあったと思う。でも大変だった。

 

「スーパールーキー決定戦」はなかなかエントリーが埋まらなかったし、何度も色んな人に「先に審査員や参加者を公開しては?」と言われたけど、絶対にエントリーが埋まってから公開したかったのでそうさせてもらった。それ位、吉永さんがツモってきた審査員とMCのメンバーが良すぎたので、エントリーが埋まってからビックリしてもらいたかった。実際、この時の反響の良さで「このイベントは成功する」って確信を持ちながら準備できたと思う。

 

「2700 八十島のメンタルの話」は配信ライブだったので今からアーカイブなど参照できないのが悔やまれますが、本当に凄いライブだったと思う。7月ダントツに印象に残ってるコンテンツ。

 

・8月

 

 学校通い生活のリズムも少し定着して、新しい環境に慣れつつ、それ以外の時間は「スーパールーキー決定戦」の準備をしてた気がする。細かいイベントは色々あったけど、8月はとにかくその記憶が大きい。

 

オープニング映像は異様に気合が入ったものを作れた。何年も前に「福岡地獄大喜利」に参加した時に、らんちゅうさん作成のOPがやはり参加者全員の名前とアイコンが出てくる映像になっていて、自分がそこに入っていたことにメチャクチャ感動したことがあったので、それをやりたいと思うとこがあり、実際にひとりずつアイコンが出てきたところでみんながザワザワ…とした感じ、そのまま映像終わりで明転した時の拍手で、本当にこれはやってよかったと思えたし、その後の本編の内容の良さといったらもう、本当に凄いイベントをやれてしまったと思う。吉永さん本当にありがとう。またやろうね

 

あと8月はなぜかずっと避けていた「メイドインアビス」に手を出してしまい、案の定ドはまりして、大凹みした。とはいえ11巻まで出ている状態で読み始められて良かったと思う、これ5巻とか10巻辺りで読み終わって次巻を待つ状態にさせられてたら、凹みの方が大きすぎて参ってしまってた可能性がある

 

・9月

 

 生活のリズムがかなり安定して、学校通い、課題、その隙間に自分のしたいこと、のバランスがいちばん取れていた時期だった。あと学校に通う定期券を使って行ける範囲内にIIDXのあるゲームセンターがあり、毎日のように帰りに寄ってDPのリハビリをしていた。

 

この時期にDP☆10を全部クリアしてしまうのが目標だったが結局できなかった(そしてこの後新作が出るので、まだ結局200曲くらい未クリアは残っている)、今はまた通えてないけど、ただただIIDXは自分にとって一生続く趣味だと思う。自分がくたばるかシリーズが終了するか、どっちが先か勝負だと思ってる。

 

あとこの時期に「AIによる画像の自動生成」ブームがあり、それと引っ掛けて「AI画像生成クイズ」を作った。これは単純に面白かったと思う。

 

・10月

 

 「一撃.7」のオープニングを作らせてもらった、これも楽しかった。スーパールーキーの時がアゲでエモな感じだったので、今回は敢えてちょっと引いた感じ、落ち着いているけど中身はアツい、みたいな感じで作ったつもり。水の中でインクが拡がる映像素材と、良い回答が浮かんだ時に脳内でアドレナリンが走る感じを重ねたつもりだったんですが、伝わってたら良いな

 

 10月もずいぶん遊んでた気がする、記録を見返しても引くほど遊んでいる。笑い飯の単独を観に東京に行って、同じライブを観に来られてた手長渕さんと開演前に行ったハンバーグの店がメチャクチャに美味しかったりした。

あと前から行きたかったWGCに行った、現在では現役で稼働していない音楽ゲームを多数保管されて稼働されている店で、ここに行くために1日開けておいたけど、案の定1日なんかでは全然時間が足りなかった。また絶対に行く。

 

久しぶりにシンプルな企画大喜利会としてのホシノ企画をやったのも10月だった。色々と思うところがあって全力で行こうと決めており、ラジオ用の機材とかニンテンドースイッチとかミラーボールとかサイリウムとか、企画が固まる度に荷物が増えていき収拾がつかなかったけど、なんとか形に収まってよかったと思う。

夜枠の「生大喜利1A」はちょっと自分のやりたかった事に自分の喋りの技量が追いついてなかったと思う(スイマセン)。またそのうちリベンジします

 

 

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この頃ベッタベタにべた惚れした曲。どっちもリアルに再生回数のうち100回くらい自分だと思う、好きすぎる

 

・11月

 

 11月は学校通いも終盤になり、座学がほぼ無くなって経管栄養とか喀痰吸引などの医療系の実技演習ばかりになり色んな意味で精神力が削られる日々だったのと、12月の「関西大喜利グランプリ」に向けてのいろんな準備が進んでいくのと、ホシノ企画での「ATHLETICS」2週連続という3つで毎日ドタバタしていた。

 

「ATHLETICS」2週連続開催というのは無謀な企画だったと思う(実際にちょっと無理があったし)けど、やってみてそれだけのドラマもあり、楽しんで頂けたとは思っている。10月のホシノ企画での失敗からMCは外注性にして、redの回はグリエルシャーベットさん、blueの回は川嵜でし太さん・ダンジョンのTさんにやって頂き、自分は機材操作と集計に特化することでクオリティは爆上がりしてたと思う、本当にありがとうございました。あと、もしかしたら、次回また「ATHLETICS」をやる時も短いスパンでの2回連続にして、片方は定員24、片方は定員16にしても良いのかもしれないと思う。

 

関西大喜利グランプリについてはこの頃から運営グループでの話し合いが活発になってきたり、審査員の補充をめぐって自分の意見を通させてもらったり、せいいちさんとATHLETICSの終わりにラーメン屋で色んな話を聞いてもらったり、この頃から急速に形が見えてきてファイナルに向かって動き出していく感じがした。どうしても自分としては個人商店で企画をやっている側面が強く、団体行動としては色んなご迷惑をおかけしたと思うけど、その分それだけのサポートは出来ていたと思いたい。

 

あと、どうにか次の仕事が決まった。

 

・12月

 

 12月はいよいよ学校通い自体がなくなり、約3週間ほど実際に施設で従事する日々で、ここでも色々なことがあったけど色々な学びがあったと思う。

 

そして12月は今年の私達にとっての集大成というか、関西大喜利グランプリ。

例によってオープニングを作らせてもらった、ものすごく長くて素材山ほど乗っけてエモいやつにするのも考えてたけど、結局のところ色々思うところがあってものすごくあっさりしたものになった。時間がなかったのもあるけど、でもこれはこれで良かったとも思っている。

 

あとはM-1があったり、新しい職場との調整があったりしつつ、この時期に観たコンテンツでは「オモロ川フィルムブラック」がメチャクチャ面白かった。

 

オモロ川フィルムブラック#1『安否不明の同期、捜索開始』【黒帯会議】www.youtube.com

けして意図されたものではなかったけど同じような時期に進行した赤もみじのドキュメンタリーとは対象的に、けして撮影や編集にそこまでの時間や労力を注ぎ込んでいるわけでもない(手抜きとかいう意味ではなく、いい意味で人生を賭けてやっているような労力を感じさせない)軽さで、2年ほど前から消息を絶っている、とある芸人さんが今どこで何をしているのかを、どこか本気で心配もしつつ、ずっと茶化しつつもありながら追っていき、最終回の手前でとんでもない着地点を感じさせつつ、最終回でそういう結末に行くんかい、って感じ、何もかもが黒帯って感じで魅力的だった。

 

 

などなどなど、色々あってつい数日前に学校通いも終わり、年が明けたら新しい職場にも行くことになるし(正確には1月はまだ国試などがあって、本格的に働きだすのは2月からだけど)、本当に今年は自分にとって(ヘタしたら人生で最大になるのかもしれない)転機の年だったんだろうな、と思う。やり残していることも忘れていることも山ほどあると思うし、これからぶつかる壁も全然あると思うんだけど、乗り越えていかないといけないし、乗り越えられると思ってやっていかないといけないと思う。

旧年中は本当にお世話になりました。

来年もよろしくお願い申し上げます。敬具。