飛べ

わーわー言うとります。

太陽がまた輝くとき

・引き続きダラダラさせていただいています。そろそろ何かし始めないと、とは思いつつ。

 

・いよいよ社内の(非公式の)通達で「今、この施設の誰かから感染者が出て、それが新聞やニュースで出ようものなら、私達全員が地域やネットの人達から人殺し扱いされたり、今後必要な地域の協力を長く断られることも覚悟しないといけません」という話が出るようになった。もちろんそういう覚悟は言われなくとも最近はしているけど、改めて言われると、それをみんなでうんうん頷いていると、ほんの数週間で全く別の世界に来てしまったような気さえもする。戻れるものなら戻りたい。時を戻そう。

 

閑話休題ツイッターをやっていて、自分はそこでは元々はそんなには政治的なことや社会的なことにはあまり言及しすぎないように、とは思っていて、それは自分が一応ホシノ企画という一団体をやってたり、色んな人と行動を共にしたりする以上、自分だけでなく自分の関係者になっていただく人の事も考えたら、自分が個人的な思想なんかの問題で不必要に摩擦を生むリスクを表に出すことはないだろう、と思っていたのはある。

 

・ここ最近、質問箱などを通して「あなたはお笑いやテレビのことで読みたいと思ってフォローしていたが、最近のあなたの社会的な方への言及はウンザリしている(要約)」「あなたはそういう発言はしない方がいい、あなたの事を思って言ってあげますが黙っておいたほうが今後のことを考えて得ですよ(要約)」というのを複数(それも2つや3つじゃなく)いただくようになった。本当にすいません。というか、そんな個人的なミクロな視点で見ずとも、最近はネットやSNS全体を見ても「そんなにギスギスするな」「もっとポジティブに行こう」みたいな発言や空気を求める人と、「うるせえ!」「もっと怒っていこうな!」みたいな怒りが止まらない人に二極化しているように感じる。

 

・そこには色んな人の色んな思惑もあるんだと思うけど、大きくは「同じ国に生きていながら、今の状況では人それぞれに今の切迫感が違いすぎる」というのがあると思っている。ついこの前まではこの国で生きているというのは世界でもトップクラスに安全な、まさか今日明日に自分の生活や健康が失われるとは思えない国に生きていたのが、あっという間に、人によっては今日明日に自分もいつ健康が失われるかもしれない、というリスクに怯えながら働いている人も居るし、あまりにも予想できなかった理由で自分の事業や財産がどんどん目減りしていく恐怖に晒されている人も居る。一方、もちろん同じ国に生きていて、いくらかのリスクはあるとはいえある程度安全な環境だったり、あまり以前と今でリスクの変わらない職種に就けている(あるいはテレワークなどの対応に成功している)人も居るし、様々な要因できょう現在生きている実感として「今がどれくらい切迫した状況だと感じているか」が、人によって違いすぎる状態になってしまった、と思っている。

 

・そういう状況下で、本当に切迫した状況だと感じている人達にしたら、たとえフォロワーにウンザリされようが、平穏を望む人に疎まれようが、自分のところに必要な助けが来ていないと感じていて不安になっている時に「皆さんもっと落ち着きましょう」とか「あまり不穏なことを言わないようにしましょう」とか言われたって到底承服できないだろうし、でも逆に以前と今とでそこまで生活や切迫さの変化を感じていない人達にしたら、以前と比べてみんながやたらとささくれ立って、ちょっとした動画やメッセージにだって何かしらイチャモンを付けて文句を言っているようにも見えるのだと思う。

 

・僕個人にしたら、明日には地域から犯罪者扱いされるかもしれないし、もしかしたら自分や自分の近親者がいつ感染者になるかもしれない、というそこそこ毎日を恐ろしいと思う状況で生きていて、かつ行政の対応は全く不十分だと思っている。そして自分が見ている範囲でも、自分が今までにお世話になってきた人達の中で自分の店だったり事業や生活がいつまで持ち堪えられるか判らない不安の中で必死にやっている人達の事も見ている。ゆえに荒れる。この状況で著名人が「誰かが誰かを責めているのがつらい」とか、国のトップが率先して家に居てお茶飲んでる姿をアピールしてたら、ふざけんなテメーと思ってしまう。でも、人によってはやっぱり「誰かが誰かを責めているのがつらい」のかもしれないし、国のトップが率先して家に居てお茶飲んでるくらいが丁度いいのかもしれない。そこにはどうしようもない分断がある。どっちかがどっちかを説得できたり、どっちかが正しくてどっちかが間違ってる、と言えるようなものではないのを、まず自分も受け入れないといけない。

 

・そしてこの分断を生んだ理由が、人間にはどうしようも出来ないウイルスというものの存在でもあり、本当は人間にはどうしようも出来たはずなのに、平和な年月の間にどうしようもせずに放っておいたら本当にどうしようも出来ないものになってしまった、自分たちの生活を預ける今の行政でもあるということに、なんとも言えないものを感じている。(っていうのは個人的な感想であり、これも人により色んな見え方があるでしょうが)

 

・なんにせよあまりクダを巻いてただ不安になっていても仕方がないし、自分のできることをするしかないのですが。なんにせよ、僕は、今は自分の生活や存在に切迫したものを感じていて不安や怒りがあるならそれを口にすることを我慢しないといけない段階ではないと思うし、逆にそういうのを見るのが嫌な程度に平静が保たれている人は、それも我慢せずにどんどんミュートなり解除なりしていけばいいと思う。というのを、いくつかの匿名の方への回答にかえて提出させていただきます。しんどい時期ですが、どちら様もご自愛ください。