飛べ

わーわー言うとります。

生きる

R-1ぐらんぷりを観た。どのネタも、もちろん優勝の野田さんがめちゃくちゃ面白かったのは勿論だけど、個人的にはヒューマン中村さんの「受信料!」のエコーが一番シビれたかもしれない。あんな部分にまだ遊べる部分があるとは。

 

・ちょっとだけ、メルヘン須長さんのネタで思ったことで、世間にある何かを独特の視点や言葉で斬って、それが観ている人の共感などを呼んで笑いになる、という仕組みの時に、ある程度「それを斬ったらみんな喜ぶとわかっているもの」を斬りに行くときに、「こんなに攻めた姿勢で斬りに行っている」というポーズがあんまり大きすぎると、「いや、そんな攻めた勝負してるポーズしてますけど、それってある程度間違いなくウケる、確実に共感を得られると思ってやってますよね」って気持ちのほうが勝ってしまって冷めてしまうんだな、と思った。

・毒を吐く対象がパリピ・タピオカ・オタクって、もうある程度みんながどういう共通認識を持っているかも判っているようなものをわざわざまだ蹴りに行くときは、よっぽど斬新な視点や言葉で行くとか、あるいは出来るだけ保険をかけない(フリップの絵をブサイクにするとか声をキモくするとか、そういう保険をかければかけるほど攻めているというポーズが野暮ったく見えるので)みたいなのって大事だな、というか。それこそちょっと前のニューヨークの「音ゲーうまいやつ全員ダサいねん、あれ格好良いと思ってるの本人だけなんやから」とかは、みんなの中にある音ゲーやってる人のイメージを言えそうで言えない言葉で言い切ってるから通ってるお笑いだと思うし、最後の「質問箱やってる人はバカ」くらい他のもスパッと端的に保険無しで斬れてたらな、と思った。なんとなくあれだけ、観ていて「これで決勝行けるのかよ」ってつぶやいてた人の気持ちは、自分も正直そう思いますって思った。

 

・あと「天空のヒマラヤ部族」も続けて観た。単純にナスDという人の人間力というか生命力みたいなのにものすごく惹かれる。ヒマラヤの部族の人たちにパンのような食べ物を差し出されて、ナスDがそれを美味しそうに食べたら次から次へとエンドレスに持ってこられて、それをひたすらうまいうまいと言いながら全部食べ続けたら部族の人たちが嬉しそうに笑い転げるシーンがあった。そういえば「陸海空」の部族アースの時も、ナスDは事あるごとに言葉の通じない部族の人達の前で、ひたすら彼らが食べる物と同じ物を食べまくったり、同じ酒を誰よりも飲んでみせたりして彼らを喜ばせていた。シンプルな体力や知識量、プロとしての意識の高さや独創性、絵や歌でも魅せられるポテンシャルの広さなど、ナスDという人の凄さは色々ありすぎるけど、最終的にはシンプルにただただ「人間力というか生命力みたいなのがすごい」と思ってしまう。

・今までのシリーズの中でもちょっと怪しい場面とか、これホントかな?って思ってしまうくだりが全く無かったというと嘘になる。けど、そういうのでちょっと「これ本当にやってるのかな」って思う時に、でも実際に自分の足でヒマラヤを登りきったり、サメを自分で捕まえてさばいて調理して完食する人が、その程度の「やったこと」をしても何の意味もないんだよなと思うと、浮かんだ疑問もかき消されてしまう。その辺の「どこまで本当かわからないけど、多分本当なんだろうと思わせる力」もずば抜けてるし、そのグレーな感じもひっくるめてテレビの面白い部分だと思う。そもそもテレビなんてそれくらいが一番いい。